吉住流は江戸中期、享保の頃よりおよそ四〇〇年余りの歴史を持つ長唄の流派でございます。
初代の小三郎は大阪住吉大社の神官の出とされております。流儀の名は住吉神社の名は恐れ多いのでそこからひっくり返して吉住と名づけられました。
吉住流中興の祖である四代目小三郎(慈恭)は、それまで歌舞伎の伴奏音楽の一つであった長唄を芝居から独立させ、「演奏会本位の純聴きもの」として定着させ、「音楽としての長唄」の地位を向上させた功労者であります。以降、現在まで長唄の様々な流派が演奏会形式を採用するに至っております。
長唄には、様々な流派がございますが、吉住流とは「曲の内容を充分に吟味検討し、正確な発声発音によって、歌詞、詞章を聴者に徹底させること、および、唄、三味線の一ふし一撥にも神経を行き届かせて曲想を表現すること」に精進を重ねてきた流派でございます。